· 

ハッピーエンドの迎え方【漫画編】

「ヒカルの碁」が好きだ
よくネットなんかで、ラストの一局で負けたから微妙、という書き込みを目にする。
果たしてそれはどうだろうか?
僕はいつも思うのだけれど、競技者はチャレンジャーであって欲しい。
強敵に対してなのか、境遇に対してなのか、はたまた病魔や加齢に対してなのか。
ただ、チャレンジを続けてほしいのだ。
そうなると、ヒカルの碁のラストは良い。
主人公は確かに敗北するが、ラスボスを追い詰めていた。(そもそもラスボスが彼なのか、は別として)
そして味方(?)である塔矢青年はしっかりと敵の副将を仕留めている。
敗北で世界が滅びるわけではない。
リベンジを誓って、そのチャンスも匂わせながら終わる。
清々しい終わり方ではないだろうか。
だから僕はヒカルのチャレンジを讃えたい。
「スラムダンク」が好きだ。
あんなの反則だって、いつも思う。
天才・桜木花道はいつだって挑戦者だった。
類稀なる才能を持って、類稀なる指導者やライバルと出会って、真っすぐに突き進んでいく。
彼に足りない点は経験で、そんなものはいずれ追いつけるものだ。
そのことを心のどこかで知りながら、読者は安心してワクワクできる。
「今回は経験のなさをどうやって埋めるのか?」
「成長をどれくらい見せてくれるのか?」
と。
それは彼が突き進む道への信頼感だ。
そして彼に経験を与えられるのはいつでも先輩たちだ。彼の踏み台になれるのは、経験豊かな先人たちなのだ。
つまり彼の後下の世代に、魅力的な人間は不要だった。
無粋ながら、彼が無事に2年生になった姿を想像してみる。
ちょっと生意気な後輩がきて、トラブルになるけど、それを乗り越えてちょっと精神的に大人になった花道が照れ臭そうに笑う……あたりが妥当だろうか?
それとも花道の活躍をみて憧れて入ってきた後輩がちょっと部を引っ掻き回すけれど、結局は強力なセンターに収まる……とか。
そこに技術の向上はなく、チャレンジもない。僕はそう思う。
さらには、他校の魅力ある若手もそうはいないだろう。流川を脅かすような後輩が出てきたとして、僕は気持ちよく読む自信がない。
だからラスト、桜木は己との戦い・チャレンジに身を投じることで幕を閉じる。
そして 味方(?)である流川青年はしっかりと代表の座を射止めている。
ちょっと反則だけど、清々しい終わり方ではないだろうか(だってラストシーン、海だし)。
だから僕は、桜木花道の終わりなきチャレンジを讃えたい。
実は「ドラゴンボール」も好きだ。
あれは上記に潜むちょっとした不満を良く抑えられた終わり方だ。
孫悟空は、セル編が終わり、後続の人間たちから追われる立場となる。
年齢も然り、あの世の籍を置いているという立場も然り。
孫悟空はあのタイミングで、誰かに越えられなくてはならなかった。
セルを倒した悟飯は腑抜けになりつつも界王神さまのお陰で覚醒を遂げる。
新キャラクターの悟天は小さなトランクスと切磋琢磨しながらフュージョンを覚える。
悟飯もゴテンクスも、一つの個体としては孫悟空を凌駕しているのだ。
それは悟空の望んだ未来であり(ちなみに悟飯くんは望んでいない)、その後のドラゴンワールドを支えるべきものであった。
読者は悟空を応援しているし活躍も望んでいたが、あの世界のこれからの主役は彼の子供たちであった。
そんな中、強敵に惜しくもやられてしまった子供たち……しかも力負けしたわけではなく、悪知恵によって吸収されたパワーを向けられただけ……の尻ぬぐいをしたのが悟空なのである。
17号を吸収したセルなど、不意打ちをして強くなるタイプの敵はこれまでもいた。
しかし融合に近かったセルに対して、服装などがモロに表れる魔人ブウは、やはり「味方のチカラ」を向けてくるというイメージが強かった。
それに対して悟空は悪知恵(?)を働かせて、弱体化を図る。
セルの時には、悟空が仙豆をあげたり、(作者のチカラで)18号無しでも完全体に戻してあげるなど至れり尽くせりで「ベストコンディション」の相手を倒させていたドラゴンワールドが、である。
魔人ブウ戦においては悪知恵に知恵で対抗して弱らせた挙句、地球のみんなのチカラで消し炭にするのである。
まあ、ヒカルの碁のように「負けて強し、ポテンシャルは◎」みたいに終わらせていたら、地球は滅びていたのだから仕方はない。
しかしそこには、孫悟空というその世界における主役の座から降りて尚、読者からは主役としての動きを求められ、自らの信条であろうベストコンディションの相手を打ち負かすということまで諦めて、ハッピーエンドに持ち込んだ男の美しさがある。
こういった美しさは、魔王を打ち負かせばクリアできるドラゴンクエストにはない面白みだろう。
終盤のドラゴンボールでは、ミスターサタンが弱き者の代表・人間らしい存在の代表として描かれてはいたが、実はベジータも孫悟空もすでにそちら側の世界の人間で、自らの向上を捨ててまで、若者たちを老獪な手段で守り抜いただけなのだ。
彼らの導いた、あのハッピーエンドには、彼らの犠牲の上での美しさがある。
僕はそれを、讃えたい。
まあ結局続編が出てきてパワーバランスも再構築はされているのだが。
それはまた別の話で。